母「あんた(私)、いつタヒぬの?コロすと犯罪になっちゃうから自分でタヒんでよ。事故は迷惑かけるからダメよ」

物心ついた頃からずっと寂しかった。

父はフンフンと話を聞いてくれる人だったけど、
それに対して考えたりしてくれたことはなかった。
上辺でふんふん聞いているだけのひと。

母は気の強い人で絶対に間違いを認めない人だった。
そして人の間違いは徹底的に責め立てる人だった。

私は子供ながらの失敗も多いうえにおっちょこちょいというか、
悪い事はしないんだけど、叱られるべきことが多い子供だった。
そんな私は毎日母に怒られていた。目に付くこと片っ端から。
ご飯を食べるのが遅い
早く勉強しなさいとかそんな当たり前のことが初めは多かった。

でもそういうのが重なると母にとって

「この子はダメな子」

になったんだろうね。

外見の中傷、姉や飼ってた猫がやったイタズラ、失敗。
全部『わたしのせい』ってことで怒鳴られてた。
ヒートアップすると食卓に私がいること、家に存在してること
顔を見る度になじられていた。

家族の会話は一方的に私をなじる言葉を投げつけられるだけで
私が口を開いても無視された。

だから服が小さくなったから新しいものがほしい。ノートがなくなった。
給食費の集金があります。全部むしされた。

たまに姉がお下がりを回してくれるけど、成長期にそれだけで
足りるわけがない。つねに穴あきのツンツルテンを着て、
シャンプーを使うことも禁止されてたから当然臭い。
外でも友達なんて出来るわけがなかった。

そしてそんな母からの待遇を子供のころから見てる姉は

「こいつは問答無用にどうでもいい何してもいいやつ」

って認識になってたんだと思う。

母と同じことを私に言い、たまにくれるお下がりもわざと汚してから渡すようになったり。

そんなこんなで外でも家でも私の言葉を聞く人は誰もいなかった。
私に吐かれる言葉で冷たくない単語はなかった。

いつ死ぬの?

コロスと犯罪になっちゃうから自分で死んでよ。

事故は迷惑かけるからダメよ。

首切りがいいらしいよ。

これは母から毎日言われてた言葉。

高校生になったとき自分で初めてお金を稼いでご飯を食べた。服を買った。
お下がりでも制服でもない新品の普段着は初めての体験だった。

文房具に困ることもなかった生活はあまりに衝撃で、
私は学校よりもバイトに明け暮れ、終いには退学した。
朝から晩までそこから朝までバイト掛け持ちで働いた。
バイトをしてる間はなじられないから。そして稼げば生活できるから。

そんな中、旦那に出会ってなんやかんやあって結婚した。
人って結婚して家族になると家族の誰かをなじるものだと思ってた。
なのに旦那はずっと私に優しかった。
段々私の中にあるシコリみたいなのが溶けていくのを感じていて
実家の環境が異常だったって初めて知った。

そして知ったからこそ、母がなぜあんな事をしてたのか考えるようになって
『ウマがとことん合わない親子の成れの果て』だったと解った。

それに気付いてから私の母への感情も
切らないなら適当に付き合えばいいんだ
になって気が楽になった。
そして顔を合わせても会話ができるようになった。

生まれて初めて。

だからもうああいった過去はすっかり忘れてたんだけど
ふとした時に思い出して泣いたりしてしまう。

私のしてることは結局親からの逃げでしかなかったから
完全に払拭されてないってことなんだろうけど
今の幸せを逃したくはないから
敢えて縁を切ろうとか物申してやろうとか行動する気は無い。

ただ、今付き合いのある旦那やママ友たちは知らない。

とても話せないから吐き出したかったんだ。
長々とごめん。

「愛のコメント」

辛い目にあったのですね。